【英語】canとbe able toの違い:演繹的分析から帰納的分析への転換

おはようございます!

マインドアクスルのソルジャー・イサヲです!!

 

昨日のブログお休みについてですが、ソルジャー・イサヲは不思議なご縁のめぐり合わせでこの年になって一人山形のマツキドライビングスクールにて免許合宿の受入れをしていただいております。

到着の瞬間からスタッフの方々が私に気を遣って標準語を話してくださるのが嬉しくも複雑な気持ちがいたしました。

が、負けず嫌いの筆者ですので一度は方言で遠慮なく話していただけないかと思い、宿舎のおじ様に『電撃東京土産謹呈作戦決行致しました。

 
 
 
 

すると、驚かれた様子で、(少しばかりなのかもしれませんが)山形弁⁉なるものを強めに話していただけたように思います。

バックでの駐車スペースへのinが課題の筆者ですが、本日からも励んでまいりたいと思います。

 

さて、本日のテーマはcanとbe able toの違いを見ていきたいと思います。

どちらも「~をすることが出来る」、「~することが可能だ」と訳すことが出来るケースが多いため英語学習者の混乱を招くというのは日本語を母語とする筆者も中学生の頃から体感しているわけでありますが、一方でこの悩みは日本人に特別なものなのかと愚考しておりました。

 

しかし、複数のネット記事を見ていると英語を少なくともある程度(1)マスターした外国人にも同様の課題は存在するようです。

では、早速見ていきましょう!

 

【ネット記事から見られる分類】

*読むのが、疲れた人は飛ばして【演繹から帰納へ】に進んでください。

複数のネット記事等も参照の上まとめさせていただくと、下記がcanとbe able toの相違点を見抜くためのポイントとなるようですね。

 

① 意味上の内包関係

筆者の生徒でもある某名門中学通いのR君が指摘してくれましたが、一般的に「能力・許可・依頼」と言った3つの質的に異なる用法があるcanに対し、be able toは「能力」の意味でしか用いられないという点は理解しやすいでしょう。

 

Can I finish my homework after lunch?

(子供がお母さんに)お昼ご飯を食べてから宿題を済ませても良い?

 

これを

Am I able to finish my homework after lunch?

とは言わないというのです。自分自身の力で出来るかどうかは、本人(子供)が一番自覚するわけであるから、他人(母親)の判断・指示を仰ぐのはおかしい。

 

同様に

Can you give me a call when you are ready?

準備が出来たら、一本電話をよこしてくれるかい?

 

こちらに対しても

Are you able to give me a call when you are ready?

というのも不自然でしょう。電話を掛けるという能力に関しては聞き手に確信がある前提で、あえてその手間を取ってくれるかという親切心を問う質問ですから、ここでbe able toを使うと、

「君はいつも僕に電話するのを忘れているけれど、今回はちゃんとやってくれるかな?」という苛立ちを暗示するニュアンスや、

「そもそも遠隔であっても、私に電話するための携帯電話、スマホは持っているか?充電はされているか?」といった相手の通信状態について不安がある場合を筆者はイメージします。

 

つまり、canの方がbe able toでは表現出来ない領域(許可や依頼)を含んでいるわけですから、can > be able toという内包関係が成立するという捉え方です。

 

② 受動態の場合はcanだけ(2)

「主語A+他動詞能動態v+目的語B」を「主語B+他動詞受動態be v-ed+副詞節by A」とする文章では、be able toは使われないというものです。

 

〇 Payment can be done online. 決済はオンラインで済ませることが出来ます。

× Payment is able to be done online. 決済は、そのものに内在する能力により、オンラインで可能です。(←無理矢理訳したぎこちない和訳)

 

③ 主語が無生物の場合(3)

〇 Tokyo can host a large number of tourists in the Olympics. オリンピックの際には東京は多くの観光客を受け入れることが出来ます。

× Tokyo is able to host a large number of tourists in the Olympics.

 

④ 助詞が用いられる場合はbe able to

willやmust、have等、能力以外の意味を持つ助詞が文章で使われる際にはcanを用いると助詞が重複するためダメ(4)。

 

〇 My brother will be able to pass the exam so easily. このままいけば、うちの弟は試験に容易く合格するであろう。

× My brother will can pass the exam so easily. ←不自然というのではなく絶対的に間違いとなる。

 

⑤ 不定詞の直後はbe able to

to 不定詞の「不定詞」とは「助動詞」ではなく「本動詞」の不定詞である。

 

〇 I want to be able to sing as well as she does. 彼女と同じくらい歌が上手になりたいなぁ。

× I want to can sing as well as she does. ←不自然というのではなく絶対的に間違い

 

⑥ 特定の場面か一般的な能力か、そして過去の完了のニュアンス

be able toが一度限りのアクションを描写するのに対し、canはより一般的な能力・可能性を描写します。

また、過去形において、be able toはやっとのことで出来たといった完了の意味合いを帯びるのに対し、couldは可能性については肯定する一方で完了については否定的です。

(しかし、過去形についてはnot be able toもcould notもほぼ同値であると考えられます。)

 

I was able to reach the airport. (バスもタクシーも見つからなかったけれど)電車でやっとのことで空港に到着した。

I could reach the airport. (行こうと思えば)空港に行くことは出来た(が、面倒であったので、予定が変わったので結局行かなかった)。

 

⑦ 知覚動詞と親和性があるのはcanだけ

知覚動詞see, hear, feel, smell, taste等はbe able toを使いません。

 

〇 Can you hear the strange noise from the kitchen? キッチンから妙な音、聴こえるかい?

× Are you able to hear the strange noise from the kitchen? (補聴器等をつけて)聴こうと思えば、キッチンからの音を聴くことが出来るのか?(←不自然な表現)

 

【演繹から帰納へ】

いかがでしたでしょうか。「なるほど!」と感じられるものから、「合点がいまひとつ・・・」のものまで、様々でしょうか。

 

筆者はたくさんの視点から英文法を勉強出来て興味深いと感じられる反面、

このような列挙型のアプローチは英語初修者、canとbe able toを学びたての方にとっては分かりやすさに欠如すると考えます。

 

なぜなら、「今回は、知覚動詞だから・・・」、「時制は過去で、平叙文だから・・・」とシシステマティックに考えられるほど言語は単純明快ではないことも多いですし、英文法理解の途上にある方にとっては複雑怪奇にさえ感じられるのではないかと危惧します。

 

そこで、筆者が中学生当初より感じている視座をもとにcanとbe able toの区別に「1つの軸」をもたらしたいと思います。

 

それは、

 

ズバリ、「丁寧さ=意識の度合い」です。

 

「canよりbe able toの方が何となく丁寧に聴こえる。そもそも助動詞1単語ではなくて、be動詞、形容詞、前置詞と3単語も消費している。」というのはネット記事には取り上げられていないケースが多く、筆者の独断と偏見かと危惧していましたが、一部同様の見解を提示する記事も見付けました(5)。

 

しかし、この感覚は上記の【ネット記事から見られる分類】で紹介したものと重なる要素が多分にして含まれます。

 

①内包関係にしても、be able toが表す「可能」の意味の方が、主体の持つ控え目な印象を与えます。

②「丁寧さ=慎重な意識、意志の介在」と捉えると、受動態においては能動側に動詞が意味するところのアクションを遂行する意志・決定が完全に委ねられ、受動側には判断プロセスがありません。

③無生物には(個人を主体subject、環境・自然を客体objectと捉える西洋的な哲学においては特に)意志・意識が無いと捉えられますから、canしか使えません。

(④・⑤は文法上のテクニカルなものかと考えられますので割愛)

⑥特定の場面での能力に関しては、個別の状況に応じた能力発揮のための検討が介入します。また、完了と非完了では前者の方に「外界の障害等を乗り越え、能力を完全に発揮するという意味での丁寧さ」が見出せます。

⑦知覚は人間の持って生まれた五感が必要とされますが、「熱い」・「冷たい」の感じ方に精神の集中や何か深い検討をすることは不要です。

 

以上のように、canとbe able toは、主体(人間)の意識や思慮、そしてそれに基づき実際に行為を完遂する努力の有無を皆さんの脳の片隅において使い分けが出来るのではないかというのがソルジャー・イサヲなりの提言であります!

 

本日も長らくお付き合いいただき、ありがとうございました!

 

【関連記事・注・引用】

(1) https://blogs.transparent.com/english/cancould-vs-to-be-able-to/.

(2) (3) https://eikaiwa.dmm.com/blog/21710/.

(4) 助詞が重複することを嫌うのは英語の特徴であり、筆者が学習したドイツ語では複数の助詞が連なることは(フォーマルな文章では特に)頻繁に起こる。

(5) https://eitopi.com/can-beableto-tigai.